今日の雑学
若山牧水は中学時代から歌や文章を雑誌などに投稿していたが、早稲田大学英文学科に入学するため上京してからは尾上柴舟に師事し、一九〇八(明治四一)年『海の声』、一九 ▼ 一〇(明治四三)年『独り歌へる』を出した。さらに、同年、この二作品に新作を加えた『別離』で歌名を確かなものにした。浪漫的心情を歌い上げたところに特徴があるが、一九一一(明治四四)年『路上』以降、自然主義的な傾向を強めていった。破調の歌も試みたが、やがて伝統的な自然主義に傾倒していった。牧水は酒と旅をこよなく愛し、酒と旅のうちに生涯を終えた……と書くとなにやらロマンチックな香りが漂うが、牧水の酒好きは相当はた迷惑なレベルのものだったらしい。牧水生家記念碑文にも「生来旅ト酒ト寂ヲ愛シ、自ラ三癖トセシガ命迫ルヤ静カニ酒ヲ含ミツツ四十四歳ノ生涯ヲ閉ジタリ」と記されているものの、その酒量は一日に約一升(一・八リットル)。しかし実際には、一か月に四斗樽(約七二リットル)一本あっても足りなかったとか。弟子たちが、そんな牧水につけたニックネームが「電留朝臣」。こんな妙なニックネームがつけられたのには次のようなエピソードがあるからだ。ある夜、泥酔した牧水は市電の線路の真ん中に大の字になって寝ころんでしまった。そのため電車はストップし、車掌も運転手も狼狽するばかり。最後には巡査まで駆けつけての大騒ぎとなってしまった。やっとのことで牧水を線路からどけた頃には、市電が十数台もストップしていたのだ。牧水の酒に酔っての奇行は尽きるところがない。「人の世に楽しみ多し然れ共 酒なしにして何の楽しみ」と詠んだほどの牧水が巣鴨天神に住んでいた頃は、玄関から縁の下まで、一升徳利がぎっしりと並んでいたという。牧水の妻若山喜志子も歌人として知られるが、その苦労がしのばれる。
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